BON JOVI PART1

世界のスタジアムバンド、ボン・ジョヴィがオリジナルアルバムとしては前作『バウンス』以来3年振りになる待望のニューアルバム「ハヴ・ア・ナイス・ディ」がリリースされた。
このバンドの新譜を語る前に、バンドの歴史をおさらいしよう。

ボン・ジョヴィは、ジョン・ボン・ジョヴィ(Vo)、リッチー・サンボラ(G)、デヴィッド・ブライアン(Key)、ティコ・トーレス(Dr)、アレック・ジョン・サッチ(B)の5人組として1984年にデビュー。1986年に空前の大ヒットアルバム3rd『スリッパリー・ホエン・ウェット』が全米8週連続NO.1に輝き、全米だけでも1,400万枚の売り上げを記録し大ブレイク。こちらからは「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」、「禁じられた愛」がシングルとしても次々とNO.1ヒットを記録。MTVの効果も当然あったが、従来のハード・ロック・ファンだけではなく、一般の音楽ファンも取り込むだけのポップでメロディアスな楽曲、ルックスと申し分がなったのは言うまでもない。
当時中学生だった僕が、ボン・ジョヴィ(洋楽)との初めて出会ったのがこのアルバムだった。「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」、「禁じられた愛」を聴いたときの衝撃は今でも忘れない。世の中にこんな素晴らしい曲があるのかなって。ハードロックにしてはシンセサイザーも効いていて、ポップで爽やかだしブリッジからサビにかけてのメロディの流れとコーラスも最高だ。(このへんは、デズモンド・チャイルドの功績かなと思うけど。)あと、何たってブルース・フェアバーンのプロデュース力。スネアの音もクリアだし、ちょうどアナログからCDへ移行し始めた頃の音だからかもしれないけど、この頃にリリースされたアルバムの中でもズバ抜けて高音が綺麗なんだよねえ。
このアルバムは僕の人生においても、ベスト3に入るアルバム。そんなにしょっちゅうは聴かないんだけど。4曲目以外は完璧だと思う。

このアルバムのツアー後、彼らは休む間もなく、前作での成功の方式(プロデューサーにブルース・フェアバーン、外部ライターにデズモンド・チャイルド他を登用。)をそのまま使い、レコーディングに突入。1988年秋に4th『ニュージャージー』をリリース。再び成功するかどうか、ジョンにかかったプレッシャーが半端じゃなかったと言われた。その心配とは裏腹にこちらからも、「バッド・メディシン」「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」のシングルがNO.1ヒットを記録。その他3曲のトップ10ヒットを記録し、このアルバムも全米だけで800万枚のセールスを挙げる大ヒットアルバムとなった。日本では、東京ドームでのカウントダウンライブを行った。

翌年、モスクワでは「モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル」が開催され、オジー・オズボーン、モトリー・クルー、シンデレラ、スキッド・ロウを従えての大トリを務めた。この出番を巡って、モトリー・クルーとの確執が伝えられたのは有名な話。
『ニュージャージー』ツアーは後に死のロードと言われてもおかしくないくらい、長丁場となりツアーが終了したのは1990年。全232公演を終え、メンバーは肉体的にも精神的にもボロボロになっていた。
解散説が流れるほど、マスコミの噂が噂を呼びメンバー間は疑心暗鬼となった。バンドは活動休止。おのおのソロ活動を始めたのであった。

<次回へ続く>


2005/9/20